【富高地域 商店/スーパー・百貨店/デパート 分布図(戦後~平成初頭】(※随時改訂)

日向市・富高地区に、かつて存在したスーパーやデパート。その位置や内容についてまとめたページです。情報、画像などで新しいものが発掘されましたら、そのつど、少しずつですが改訂していきます・・・。

(※ここでは、比較的 規模の大きなお店についてみていきます。個人商店につきましては、またいずれ別項にて触れていく予定です。)

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<主なスーパー・百貨店 一覧>(S:昭和、H:平成)

●西山 商店(ニシヤマ):おそらくS20年代から~S30年代末頃まで。※品ぞろえ豊富だった個人商店。ニシヤマスーパーと呼ぶ方もおり、新町エリアにおけるスーパーのはしりではないかとの見方も。(※個人商店ではありますが、存在感のあった商店として特記しておきます。)

●日向 地域生活協同組合(日向 生協):S31.11.26~S42年頃?迄。※日向市民から出資を募って出来た、県内初の地域生協。市内における初の本格的なスーパーマーケットと位置付けられる店舗。開通間もない旭通りにあり、店舗は1階のみでそれほど大きくはなかったが、量の豊富さと安さで人気を誇り、そのため周辺の個人商店が次々と閉店の憂き目にあうほどだった。(※現在営業している生協は「COOP コープみやざき」の支店であり、この当時の日向生協とは別物)。★「日向 生協 福祉会館」(日向生協会館):S38.11.28~S42年頃?迄。※好調な業績を背景に建造された、日向生協の別館。1階が食料品、2階が衣類、最上階4階部分が大食堂、など。ビル屋上には観覧車が存在した(日向市の歴史の中で唯一の屋上観覧車)。建物は生協の手を離れたのち、S43年より日向大丸へ転用(その際に5階部分を増築、観覧車は撤去)。(※補足:S40年代初頭、財光寺往還に短期間あったといわれる日向生協財光寺支店は、スーパーとしての実体はなく事務所的なものだったのではとの証言あり:調査継続)。

●延 岡スーパー:S34.10.25~S40年頃?迄。※日向市以外の地域(延岡)から初めて出店したスーパーとして特筆すべき店舗。この延岡スーパーを、「日向市におけるスーパーのはしり」と評する方も。アヅ マヤ百貨店の日向進出を前に撤退。※のち跡地はスーパーモ リへ。(スーパー モ リ:S40年代~60年代頃迄。40年代半ば~S47迄はマルイチストア本町店が同居。)

●ま る き屋百貨:S39.6月~S42年頃?迄。※S20年代から30年代にかけて駅前で「まるきや呉服」として営業したお店が本町へ移転して、百貨店としてリニューアル。食品、衣類のほか食堂も備えていた。「日向市の年表」では「市内初のスーパー」と紹介。のち高 鍋へ移転。

●リビ ング ストアー上町店:S30年代後半頃?~S61年頃迄。マルショ クのすぐ南側の区画で営業していたスーパー。そのオープンは「マルシ ョクより少し早かった」と証言する方も。★姉妹店として「リビン グストアー財光寺店」S40年代後半~50年代、約10年ほど営業。

●丸食 日向店(マルシ ョク日向店 / 日向1号店):S39.9.15~H12年8月迄。のち「サンリ ブマルシ ョク日向店」。大分からやってきたこの店を、「日向市の年表」では「日向市初の県外資本スーパー」と紹介。昭和40年代は、旧・日向映劇跡(①)とその西側の区画(②)の2区画で営業。(※②の店舗がメイン?。①店舗の実態は不明)(※補足:①が食料品、②が衣類や毛布類という不確定証言あり。また②が食料品だったと話す人もいて今後さらに調査継続)。S48.11.23、西側区画にあった旧・簡易裁判所(家庭裁判所)の移転に伴い、その土地を取得して市内初のエスカレーター設置の店舗を新築オープン(3階建て相当;売り場フロアは1階と2階。→ファッション館)。旧来の店舗も新たに2階建てへと建て替え、2店舗それぞれを「ファッション館」(西側の店舗;衣料品)・「生活館」(東側の店舗;1Fが食料品、2Fが書籍・玩具・家電など)と呼称。最東端にあった店舗(旧・映劇の土地)は解体・更地となり昭和50年代後半頃から専用駐車場へ。昭和50年代後半から60年代にかけて、店内に「グリコア」というアイスやハンバーガーなどファストフードを扱うコーナーがあった(「グリコア」は、グリコアイスクリームの略)。★姉妹店として日知屋地区に「SunLiveマルシ ョク日知屋店」オープン。S58年(1983)頃~H19年(2007)夏頃迄。

●アヅ マ ヤ日向支店:前身の小規模店舗が上町・旭通りにS36年頃~S43年頃迄営業。衣料品専門だった。→「ア ヅマ ヤ百貨店日向店」:S43年10月(or 12月)~H2年(1990)頃迄。原町にあった旧・消防本部の土地を取得し、そこへ2階建てを新築(のちS44年に3階部分を増床)、百貨店としてオープン。1階が食料品、2階or3階部分にゲームコーナーや食堂(ゲームと食堂は同じフロアにあった)。屋上に児童向け遊具(ミニSLなど遊園設備)あり。市民による書道や絵画などの作品展示会や、「爬虫類展」などアヅ マヤ独自の企画展示も多彩に展開された。(展示関係は3階フロアだった可能性あり)。昭和43年当時、「延岡からア ヅマヤが、都城から大丸が進出」と新聞紙上で話題となった。★ア ヅマヤ日知屋店(S48年~S60年頃)、ア ヅマ ヤ財光寺店(S50年代、約10年)、いずれもスーパーとしての店舗が存在した。(※初期の衣料品メインだった日向支店時代の方が手掛けていたともいわれる)

●フク エー大 丸:S43年6月頃~S50年頃。旧・まる きや百貨の建物を転用?。食料品中心でスーパーの形態。1階が販売店舗で2階が倉庫と職員控室。★日向 大 丸:S43年12月頃~S63年?H1年?頃迄。S50年頃の広告では、フ クエーを「本館」、日向 大 丸を「別館」と紹介。フ クエー開店から半年後に運用を開始、大 丸は2店舗体制に。旧・生 協会館のビルを転用し、5階部分を増築(増床)した。おそらく生 協時代の内容をほぼ踏襲したかたちで、1階が食料品、2階が衣類(紳士服)、4階が大食堂、5階が展示会向けフロア・・・等々。S50年頃にフ クエーが無くなり、このビル店舗単独営業となる。昭和50年代後半頃より、1階(食品)と2階(衣類)がメインとなる。昭和末期頃に閉店し、その後H2年頃?~H9年頃?に1階部分で酒屋が営業。2008~2010頃「木 望」が入居。2012年冬~2013年1月にかけてビル解体。

●旭化 成サービ ス ターミナルショップ:旭サ ービスの日向店。S46.5.8に駅東口の宮交営業所(バスターミナル)が営業開始しており、おそらくほぼ同時期にオープンしたのではとみられる(S47年の地図に存在している)。S63年頃に閉店、跡地はのちにベスト電器。

●ユニ ード 日向店:S49.11.10オープン。「日向市の年表」に「日向市6番目の大型店」と紹介。(※1~5番目がどれなのか不明)。販売フロアはおよそ4階まであったと思料。エスカレーターは無く階段メイン。1階が食料品で、東側入り口付近にモンドール・サガ(パン屋)の販売コーナー(昭和50年代)。2階に食堂があり、南方面の窓際に向いて畳の座敷が作られており外を見ながら食事ができた。2階~3階付近には本屋、レコード屋、等にぎやかなエリア。最上階の4階は時計屋などあったが店はまばらでやや閑散としたフロアだった。S56年頃、「ユ ニー ド・アピ ロ ス宮崎日向店」(ア ピロス日向店)へ改称。S57年頃、東側に5階の立体駐車場が完成(駐車場4階部分と本館3階部分が交通)。またこの「アピロス」期は銀行のCD(現金自動支払機)設置や、1階部分に焼きそばやジュース等のファストフードが食べられるフードコートが出来たり(キャプテンクック?名称不詳)、そのエリアに移動販売のクレープ屋が常駐したりと意欲的な展開がなされた。H6年頃、ユニ ードが吸収合併され、日向店は新たに「ダ イ エー日向店」と改称。翌H7.2.28、阪神淡路大震災の影響を受けて緊急整理対象のひとつになったため閉店。店舗面積約5179m2。

●AST Y日向 寿 屋:S62.10.14~H14.1月末迄。3階建てで、立体駐車場を併設。1階中央部でショーが開催されたり、3階フロアで作品展示会が行われたりと、文化の発信拠点として地域に大きく貢献した。当初は1階に食料品の他に飲食店街「グルメステーション」が存在(グルッペ、おぐ ら「ちゃんぽん亭」、回転寿司他)、またビデオCDレンタル店「AVクラブ」が営業。2階に衣料品や玩具コーナー他、3階はカルチャークラブ・児童図書館・映画館(シネスクリーンASTY-1と2)。平成初頭頃に飲食店街が整理されて1階フロアの食品売り場を拡大、2000年頃からレンタル店跡にロッ テリア(※元々の営業フロアを拡充)。3階フロアはH6年頃にスクリーン「ASTY-2」が無くなり改装されてアミューズメントコーナー「ピノキオランド」へ変化、残る「ASTY-1」もH12年9月頃に営業終了。寿屋本体の経営破綻により、他の店舗と足並みをそろえる形でH14年1月末をもって閉店。残された建物は,1年3か月ほど経たのちH15年(2003)よりメガセンター ト ライ アル日向店に転用、現在に至る。

●くら し館 日向原町店:(ララ ラ グループ系列)H10年(1998)10月頃~2001年頃迄。跡地はダイ ソー原町店。

●メガ センター ト ライアル日向店(2003.4月~2020.4.12に一旦閉店)→スーパー センター ト ライアル日向店(2020.8.5に再オープン~現在)。

●スーパー センター ト ライアル日向日知屋店:2020.6.10オープン~現在。

●なが の屋 日向市駅前店(現・ナガ ノヤ):2010.7.6~現在。

<サウスタウン日向(ホー ムワ イド、うめこ うじ、他)>※なが の屋 プラス食の森うめこ  うじ日向店(現・ウメコ ウジ):2000.4.1~2023.6.30迄。

<ロックタ ウン日向(※ジャス コ、他)>:2000.10.7~。→<イオ ンタウ ン日向(※イ オン、他)>:2011.9.1~現在。

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●スー パーニ シムラ:(ニシ ムラ&よしむね:1910年創業の老舗。本店は美々津。スーパーとして財光寺店、日知屋店を営業。現在も仕出し中心に展開)

●マルイ チ ストア:(1951年創業時「高木商 店」。当初は文房具店→1962年に「マルイ チ ストア江良店」オープン。のち財光寺店、大王谷店も出店。延岡市や宮崎市にも展開。90年代のマルマート大王店も系列店<現:大王谷店>)

●ブイセ ンター(Vセンター):北町店。S50年代後半~H7年頃迄。(※アヅ マヤのスーパー部門。延岡市や門川町など最盛期には十数店を展開)

●ハテ ンコー:①永江店→鶴町へ移転、しばらく営業の後「マミ ーズ マーケット」へ(※「マルミ ヤストア」項を参照)。②財光寺店→のち、建物は銀 座書房などに転用。

●マルミ ヤストア:93年オープンの財光寺店が最初。翌94年に2店舗目となる富高店が北町にオープン。(※ハテ ンコー鶴町店の後継店として営業していた「マミー ズマーケット鶴町店」は実質的には「マルミ ヤストア鶴町店」。→2022年2月閉店)

●スーパー細島(※南町にあった支店。本店は細島町):S53年頃?より「スーパー日東(スーパーニットー)」→S56年頃?~59年頃「スーパー細島」の富高店として短期間営業。のち同建物はS60年頃より「エフワ ン丸岡」(旧・丸岡洋品店)に転用。スーパーの時代に建てられたこの大規模な倉庫仕様の建造物は、平成13年頃、土地区画整理事業(道路拡張工事)により解体。

●Aコープ ひら店(A COOP 株エーコープみやざき/財光寺比良町):現在。

●コープみやざき財光寺店:前身は梶木町の「ハイパーモール・メル クス日向」敷地内にあった日知屋店こと「コープみやざき5号店」(1996<H8>~。)→財光寺に新築移転オープンは2012.10.5~現在。

・八菜館(やさいかん):JA日向の直売所。①ひゅうが店(富高地域の旧「グリーントップ」内にあった「アイSHOP」と「明屋書店JA日向店」跡を改装)、②ひちや店(「JA日向 日知屋支店」隣接店舗)。

etc........。

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【補足:戦前の「松田百貨店」について】:富高駅前交差点の4つ角に、戦前「松田百貨店」という大型の個人商店がありました。取り扱った商品など不明ですが、昭和ひとケタ頃?~昭和10年代まで、定かではありませんが十数年ほど営業していたのではないかと思われます(調査継続)。<※別項「富高地域 商店/スーパー・百貨店/デパート<補足編>」にて詳述します>

日向市・宮崎県の画像倉庫と昔語り(古い写真・昔の写真・懐かしい写真~富高・細島ほか)

日向市(主に富高、細島)をはじめとする宮崎県の古い写真・懐かしい写真を掲載する画像倉庫です。現在は昔語り(テキスト部分)も多めになっています。 画像展示メインの記事は、基本的には当方が撮影・所有するオリジナル写真で構成していきます。しかし歴史語りメインの記事は、一部、書籍・文献からの抜き出しや、戦前の絵葉書の使用もありますことをご了承ください。

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