横町(よこちょう・現在の南町の一部)其の一(①~⑤:S48年)

市史「日向市の歴史」によると、江戸時代半ば(1740年代)、もともと細島にあった陣屋(細島陣屋)が富高村に移転し「富高陣屋」(日田代官の出張所)となった。富高陣屋が出来た頃、既に周辺にはそれなりの町並みが形成されていたとも言われているが、やはりこの陣屋移転を契機に著しく人家や商店が増加していったことは想像に難くない。

”富高新町”(とみたかしんまち)と呼ばれたこの通り(高見橋を境に横町~南町~中町~本町~上町)は、「天領」と呼ばれた一帯の中でも特に隆盛を極めた地域だったという。

「新町(しんまち)」の中でも、横町~南町~中町近辺は早くに発展したエリアで、明治~大正~昭和初期において(当時は富高村~富高町~富島町。のちの日向市)最も賑やかな商店街として知られた。

①~③は南町の大通りから西側に向けて撮影したもので、平成の道路拡張にあたり現在は失われた横町(よこちょう)の、入口付近の様子である。④⑤も含めていずれもS48年9月の撮影で、日向市駅周辺(上町、都町など)への人の流れが出来、役目を終えつつある時期である。2枚目(②)の左かど(※月星靴の看板)は柏田履物店。カーブに沿って正面に見えるは田村歯科医院。③は左カドの“柏田履物店”から“籾木商店”、間に二軒おいて“田村歯科”へと続いている。なお、手前の電柱は木製だが、奥の電柱がコンクリート製である。S40年代、電柱は徐々にコンクリート製に入れ替わっていった。④:萬屋呉服店。萬屋(よろずや)はおそらく明治期頃からあり、S30年前後まで横町で続いた店で、S20年代は中町にて某店に間借りし出張販売所を設けた時期もあった。⑤:“吐師商店”裏門の南隣にあった治田某氏の家。ここで治田某氏が新町で初めて豆腐製造販売店を開いた、とは古老の話(大正~昭和初期にかけてか)。明治期あるいはそれ以前は、豆腐は自宅で作ることも多く、大豆を挽く石臼を置いてある家は珍しくなかった。

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