●富高地域における、明治~大正~昭和初期の玩具店事情については不詳です。少なくとも戦前までの期間において、この富高エリアには玩具を専門に扱う店は無かったのではないかと思われます。古老に訊いたところ、昭和初期までのこの辺りに住む子供たちは、自然が遊び場であり、また戦時中で物資に乏しい時代でもあったため、人工的なオモチャに触れる機会はあまり無かったようです。(※調査は継続中です)。
●戦後、S30年頃制作の商店街地図に、「堅地(かたち)玩具店」「武田ガング店」の名前が確認できます。昭和20年代~30年代にかけて短期間ながら営業したであろう、これらのお店が、当地域における玩具店の「はしり」(さきがけ)と思われます。特に「堅地玩具店」は当地域でプラモデルの販売を手掛けた最初の店ではないか、との見方もあります。(注:プラモデルについては過去に専門店が幾つか存在しました。いずれ別項で取り扱います。)。昭和36年頃の駅前交差点の風景写真では、「上町通り」アーチに「カタチ電器商会」の看板があることから、その時期まで堅地名義の何らかのお店が上町に存在したようですが、40年代にはもう確認できません。
●その昭和20~30年代にかけて、「に し き堂」は食堂であったといいます。(あわせて果物販売も行っていた模様。)。昭和20年、都町に宮交バス富島営業所が出来、その向かい側エリアに昭和22年頃より「マーケット」が構築されはじめたりと、付近にバスの乗客が利用したくなる商店や食堂が立ち並ぶようになりました。昭和35年頃、バスの発着時には上町・都町にたくさんの乗降客があふれたと思われます。バス停前の「日吉(ひよし)商店」で客がお菓子やおみやげを買ったり、その西隣の食堂「に し き堂」で宮交の職員さんが束の間の食事をとったり、という風景が日常的にみられたのではないかと想像されます。
●「に し き堂」さんは、玩具店商売を「堅地玩具店」さんから引き継ぐ形で始められたと聞き及びます。昭和40年代頃より富高エリアの代表的な玩具店として地域をリードされました。五月人形をここで購入された家も多いことでしょう(2階に展示コーナーがありました)。昭和50年代はソフビ人形やプラモデル、昭和60年代にはファミコンソフト、等々、時代に即した商品を提供されました。平成5~6年頃よりゲームソフトをメインとした内容で展開(「メディアクラブ」)、現在はカードゲームにおける聖地となっています。当地以外にも、宮崎市の中心部や、熊本市でも姉妹店を複数展開しているようです。
●昭和50年代から60年代にかけて、富高エリアのみならず、各地域に玩具を扱った個人商店がありました。日知屋地区の「おもちゃのたなか」や、財光寺地区の「おもちゃのヤマモト」(山本玩具)を懐かしく思い出す方も多いでしょう。
●世の中が平成になりますと、外部から大手チェーン店の参入がみられるようになりました。駅東側エリアの「中央通線」沿いに「サンサンランド」、国道(10)号線沿いに「おもちゃのBANBAN(バンバン)」、そして迎洋園の入り口付近に「ハローマック」がありました。特に「ハローマックFC日向北町店」は2007年頃まで約14年間と長く営業しました。
●なお、専門店ではありませんが、かつて本町にあった「サンリブ・マルショク日向店」の生活館2階フロアに、書籍コーナーや家電コーナーと共に、玩具コーナーがありました。また玩具売り場は「アスティ日向寿屋」2階フロアにもみられました。現在でも駅前の「トライアル日向店」2階フロアや、「ヤマダデンキ テックランド日向店」中2階部分の玩具エリア、「イオン日向店」2階の玩具売り場などがあります。こうした大手企業の店内で玩具販売が展開されていたことも忘れてはならないでしょう。
<おわり>
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<補足データ>
「おもちゃのたなか」(江良町):江良児童公園の前。昭和50年代前半~平成2年(1990)頃迄(約10年ほど)。初期はテナント物件のカド(概ね50年代)→のち、裏側にある公園の正面にある物件に移動(概ね60年代頃~平成初頭)。
「おもちゃのヤマモト」(財光寺松原):山本玩具。マルイ チ ストア財光寺店の前付近。昭和50年代後半~平成3年(1991)頃迄(約10年ほど)。正面入口に等身大のチェンジロボがオブジェとして展示してあった。
「サンサンランド」(永江町):現在の「ゲオ」向かい。昭和63年(1988)~平成9年(1997)頃迄。
「おもちゃのBANBAN」(亀崎):国道10号線沿い。現在の尾 崎眼科向かい。平成2年(1990)~平成10年(1998)頃迄。
「ハローマック」(ハローマックFC北町店)(北町):現在の花 ヶ丘 三 股歯科の斜め前付近(迎洋園の登り口付近)。平成5年(1993)~平成19年(2007)頃迄。00年代後半の営業末期は版権キャラクター物が少なくなり、幼児向け・ファミリー向けの玩具が多数を占めていた。店内に93年放送の「ゴウザウラー」のタペストリーが閉業の年まで掲示してあった。
「サンリブマルショク日向店」の「生活館」2階の玩具コーナー(上町):90年代後半~閉業する00年までの数年間は、低価格の一部商品を除き、商品の新規入荷が低調だった。特に新作アニメのキャラクター商品が棚にみられなくなり、95年頃のタカラ製玩具「黄金合体ゴルドラン」が閉業間際まで不良在庫として存在していた。
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★【幻のお店?「蛭子玩具店」】
昭和30年の地図に「蛭子理容」として掲載されているお店が、昭和42年の地図では「蛭子玩具店」名義になっています。どのようなお店であったのか、詳細は不明です。
★<各種資料コーナー>:本編に出てきた玩具店にまつわる資料を掲載するコーナーです。
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